“物心賦 松田環
長い年月、花や果実、景色や人など様々な“もの„を
描いてきた。 それは言わば、何れもその“もの„を
象(かたど)る具象の世界を、探り描いてきたと
言えるのだろう。
近頃、その“もの„から絵作りのイメージが発信され
いつのまにか、 キャンバス上に絵筆を運んでいると
言った様なことがある。
“もの„が絵を創り、絵がまた更なる画面に導く、
ある意味自然な制作の道筋の様にも思えるが、いつ
もなかなかそんな風にはいかない。
そこにはいつもとは違う、いく分自由で、解放的な
時間と空間がある気がする。
そんな或る日、詩人高橋新吉の「物心賦」という
一編の詩に出会った。
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なかに、こんな一節がある。
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木石は心である
すべてのものが心であるから
山も川も心である
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心でないものは、ない。
物は心である。
今、この時代にかつてのダダイストが僕の中で
新鮮によみがえるなんて、社会も僕も歳をとったと
言うことかも知れない。
この頃、描くことが以前より楽しい。先の詩に
“見聞覚知は心にあらず„ともあった。少しずつ
自分自身が造った概念からも解き放たれつつある
のかもしれない。
2014.7.24
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