茶碗に入った一粒の米、そんなすぐそこにあるものこそが、あらゆるものにつながっている。
「一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙全体が手に入るでしょう。」これは師の安田靫彦が小倉遊亀に向け、描く対象に無心で接することを説いた言葉である。私はその本来の意味とともに、葉っぱという小さな対象が宇宙という遙かにスケールの大きなものにつながっていくところに、視界が一気に開けるような感覚を覚えた。
一枚の葉っぱが足下に落ちていたとしても、見ようとしなければそれはただの葉っぱでしかなく、あるいは葉っぱですらない。しかしひとたびそこに目を向ければ、そこには宇宙を見るかのような世界が広がっている。
私はそんな広がりを、日常生活の中で見落としてしまいがちな些細なものから見つけていきたい。
例えば一粒の米から、自分の暮らす社会や世界全てにつながるような感覚を得られたら、それはまさに目の覚めるような出来事である。ミクロの世界が、様々な問題、疑問、不安、面白さ、希望を含んだマクロなものに変わっていく、そんな体験をすることができる作品を私は生み出したい。一粒の米が手に入ったとき、宇宙全体は手に入るだろうか。
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