ときに思う、絵を〝絵〟足らしめるものは何かと
若い頃出会った言葉に〝バルール〟というフラン
ス語がある。
日本語では〝色価〟などと訳されているのだが、
単に色の相対的な観かただけでは無い気がする。
なかなか言葉では説明のつかないせいなのか、
昨今ではあまり口にされなくなった様にも思う。
〝バルール〟それを認識することは出来ても、
それが何かを説明することは難しい。この様に
不確かで不可解な感覚を捉えて、分野は違うのだ
が、岡潔(数学者)が〝情解〟という表現でこれ
らへのアプローチを指し示している。意識で理解
することの他に心で感じる、そんなことを云って
いるのだろうか。
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とは云え、〝バルール〟そのものは実際の絵画表
現上のことであり、色相は元より、質感又は皮膚
感覚といったものでかたち造られるプロセス、
それらの微妙な交わりの中に生まれる。絵を描く
というテクスチュアの過程でなかば無意識的に
現れる、快感を伴ったひとつの美の感性と云える
ものなのか・・・。
ときに、そんな漠然とした想いに囚われる。
元来そうであった様に、一本の線、ひと塗りの絵の
具に気持ちをのせて、そのテクスチュアそのものを
楽しむ。今またそんな思いを強くする。或る人が
言った「絵を観ること、描くことそのものが不思議で
すごいことなんだ」と。その不思議に虜つかれた者
として、今暫く絵筆を持つ幸せを、噛みしめていき
たいと思っている。
松田環
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